<DIV ALIGN=CENTER><!--#geoguide--></DIV> やり残したもの

 やり残したもの 



反省はしても、後悔はしたくない。

そんな人生を送ろうと思って、今できる事、自分が選んだ事を責任持ってやってきたと思っていたのに、大きな後悔をしてしまった。

身近な人の突然の訃報というのは、何故に、こんなにも後悔の塊でできているのだろう・・?

突然の訃報に、己の未熟さを痛いほど感じる。



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2002年2月26日、研究室で一年間 直接お世話になった、高橋力也先生が亡くなりました。
突然の話しです。
前日には、研究室内でいつもの様に行動し、いつもの様な会話をしてました。
そのちょっと前には、実験テーマの引継ぎに関して話し合いもしました。
何もかもがいつもの様だったのに・・・・突然の訃報。


正直、最初はタチの悪い冗談だと思いました。
しかし、冗談にしてはあまりにも度が過ぎている。



前日まで会話していたせいか、まだ、あまり実感が湧きません。

しかし、徐々に、じわりじわりと衝撃が身体の中に染み込み、今では、二つの大きな後悔の念が頭の中を駆け巡っています。

一つは、卒業論文を、下書きすら見せる事ができなかった事。

もう一つは、その時に同時に言いたかった、『一年間お世話になりました。』という言葉が言えなかったこと。





自分は、『醸造環境学』がやりたくて、東京農業大学 醸造科学科を受けました。

そして、一年の時に高橋先生の醸造環境学の講義を受け、その講義内容と、人柄に惹かれ、更に『醸造環境科学研究室』で研究したいと思うようになりました。

4年になって、念願の醸造環境科学研究室に配属が決まると、今度はテーマ決め。

ここでも、やはり高橋先生の下で研究したいと思い、「バルキング糸状性細菌の生育阻害物質に関する研究」をテーマとして選びました。

研究室に入ってからは・・・自分が口下手だと云う事もあり、そんなに多くの言葉を交わしたという訳ではなかったのですが・・・
・・・それでも、言葉や行動の端に見えた私への信頼が、時に重く、しかし、やはり嬉しくもありました。


今 改めて思えば、自分にとって、高橋先生とは、農大に入ってから、最も尊敬し、慕い、目標とした人物だったのでしょう。




重ね重ね、一年間(四年間)の感謝の気持ちを伝えられなかったのが残念でなりません。
しかし・・・これから分析業に就く自分にとって、これからの仕事を一つ一つしっかりとこなしていく事が、高橋先生への感謝の言葉になり、恩返しになると思っています。

一年間、大変お世話になりました。
そして・・・御冥福をお祈り致します。


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