ちょっといい話
今回はちょっと趣向を変えて・・・
今、友人のhideから
「ゼロ」という漫画(もどき)を借りて読んでいるんですけどね、この中にちょいと良い話があったのでご紹介。。
時はヒットラーの時代のドイツ。
悲惨な戦時状況下、14〜23歳位の若者がナチの権威に反抗する為に団結し「エーデルヴァイス海賊団」という組織を創りました。
そして彼らは仲間である証の為にエーデルヴァイスの花を胸に付けていたそうです。
このエーデルヴァイス・・・なぜ、エーデルヴァイスなのか?という話なのですが・・・
いくつか説があり、
・エーデルヴァイスが伝統的に「自由のシンボル」と見られてきたからという説。
・エーデルヴァイスがライオンの足の裏に似ている事から「アルプスの獅子の足」と呼ばれ、その力強さを反抗のシンボルとした説。
・エーデルヴァイスの花言葉が「毅然とした勇気」そして「純潔と不死」という所からきた説。
・・・などなどがあるのですが、ゼロによると・・・・(抜粋)
少年達はエーデルヴァイスという名に自分達の魂を込めたのだ。
エーデルヴァイス海賊団が付けていたエーデルヴァイスは、ユングフラウでしか咲かない花弁のエーデルヴァイスだ。
そのエーデルヴァイスの最大の特徴は、手折ってもいつまでも変色する事なく美しいままだという点だ。
つまりあの花は不凋花(ふちょうか)だ。
一度死んだように見えても決して死なない。
ナチの手により自由は死んだ。だが我々の手により再び自由は開花するーーッ。
そんな思いを込めエーデルヴァイス海賊団と名付けられたのだ。
「一度死んだように見えても決して死なない。」・・・素晴らしいですね。
小学校の音楽の時間で有名な(?)エーデルヴァイスがこんな深い意味があったとはね。
ちょっと感動でした。。
一生懸命は最低限だ
今回の話は厳しいですよ。
(とは言っても、勝負事に手を出している人にとっては基本中の基本だけどね。)
これを読んで「そんな事言うなよ!」って思う人もいるかもしれない。
ま、それはそれ。一つの価値観として読んで欲しいな。
「一生懸命は最低限だ。」
これは、俺が中学時代にバスケ部の顧問の先生から言われた言葉。
もっとも俺一人に言うって訳じゃなくて、部全体に言ってたんだけどね。
一生懸命なんてのは誰でもやる事、つまりスタートラインなんだって事。
それ以上の事をいかにやるかが問題なんだな。
あまり運動神経の良くない俺は、中学当時バスケ部にいながら「一生懸命やっている」って事だけが誇りだったんだ。
ま、実際は誇りなんて大層なものじゃなくて「一生懸命やっている」って思う事で自分自身を納得させていたに過ぎないんだけどね。
・・でね、そんな風に考えている時に「一生懸命は最低限だ。」なんて言われちゃったもんだから、ホーント頭にきてね、
「お前はそうやって体が動くから、そういう言い方すんだろ!糞野郎!!」って思った。
本当に、すんごい悔しかったのさ。。
でもね、家に帰った後とかで冷静に考えてみると、別に不条理すぎるって訳でもない事に気付いたんだ。
そもそも「一生懸命」の基準は誰が決めるの?・・ってね(笑)。
それに、社会に出れば(賭場ほどシビアじゃないにしろ)多かれ少なかれ結果を求められるでしょ?
例えば、就職先で仕事を達成できなかった時に、
「でも、一生懸命やったんです!」とか言っても、
「はいはい。君、明日から来なくていいよ。」って言われて終わりでしょ?
(・・・まあ、ちょっと極論だけどね。)
「一生懸命」って、すごい良い言葉に聞こえるけど、その実、大した言葉じゃないのよ。
つーか、ある程度の所に行けば誰でもやっている事なの。
つまり、常識。当たり前の事なの。
・・・厳しいでしょ?(笑)
もっと言っちゃうよ。「一生懸命」ってのは自分の精神を守る為の緩衝材なんだよ。
「一生懸命やった」って言う事で、自分で失敗への口実をあらかじめ作っているのさ。で、そんな事言う人ってのは、少なくとも本当の意味で「真剣」にはなってないと思うよ。
本人はそう思ってないにしろ、所詮見せかけの働き、パフォーマンスのレベルにすぎないんだよ。
・・・でもね、だからと言って「一生懸命」が不必要って訳じゃないよね。
物事には色々と苦労があるしさ、人生で目の前の事だけに集中するってわけにはいかないからね。
その範囲内で自分のできる事をやろうとするって心意気は立派だよ。
・・・立派だけどさ(笑)・・・・・でも、そんな苦労はみんなしている事なんだよ。
自分だけが不幸のヒーロー(ヒロイン)だと思っちゃーいけない。
「○○さん、こんな厳しい状況なのに良く頑張ったねー!」
・・って言葉を最初から期待するってぇのは、いかがなもんだろ?
まあ、中学当時にここまで深く考えたわけじゃないけど、今になっても考えは変わらないね。
けど、俺も生意気な事言ってる割に小心者だからね(笑)、苦しくなってくると「俺、頑張った。」とか思って、断念しちゃう事も結構あるのね。
だから、せめて(ギャグで言う以外は)口に出さない様にしているの。
苦しくても「こんな所が俺の精一杯じゃねえぞ!」って強く思う。
まあ、(当然だけど)こういう土俵際の粘りは、すぐに効果の出るものじゃあない。
だけど、意識してると結構「力」になると思うよ。少なくとも損はない(笑)。
「世の中、いかに火事場のクソ力を発揮するかがポイント。
一生懸命なんてのは最低レベルの話しさ!」